豊臣秀吉の生涯
尾張国中村の農民(足軽説もあり)の出身。幼名は日吉丸と伝わる。1554年頃に織田信長に仕え始め、草履取りから身を起こした。墨俣一夜城の築城(伝説的要素が強い)で頭角を現し、信長の下で着実に出世。中国攻めでは備中高松城の水攻めなど卓越した戦術を見せた。
1582年の本能寺の変後、「中国大返し」という驚異的な速度で軍を反転させ、山崎の戦いで明智光秀を討つ。清洲会議で信長の後継者としての地位を固め、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、小牧・長久手を経て織田家中を掌握。
1585年に関白、1586年に太政大臣に就任。四国・九州を平定し、1590年の小田原征伐で天下統一を達成。太閤検地と刀狩りで兵農分離を推進した。晩年は朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を強行し、1598年に伏見城で病没。享年62。

豊臣秀吉




