織田信長の生涯
幼名は吉法師。幼少期は「尾張の大うつけ」と呼ばれる奇行が目立ったが、1556年に弟・信勝との家督争いを制し、尾張統一を進めた。1560年の桶狭間の戦いで今川義元を討ち、全国にその名を轟かせる。1562年に徳川家康と清洲同盟を結び、東の脅威を排除。美濃攻略に注力し、1567年に稲葉山城を攻略して「天下布武」の印を用い始めた。
1568年に足利義昭を奉じて上洛。義昭を将軍に据えるも後に対立し、1573年に追放。室町幕府を事実上終わらせた。その間、姉川の戦い、長篠の戦い、手取川の敗戦など数々の戦いを経て、畿内から中部にかけての広大な領地を支配。楽市楽座による経済政策、関所の撤廃、鉄砲の大量運用など革新的な施策を次々と打ち出した。
1582年6月2日、天下統一を目前にして、重臣・明智光秀の謀反(本能寺の変)に遭い、京都・本能寺にて49年の生涯を閉じた。遺体は発見されていない。

織田信長


