石田三成の生涯
近江国石田村の地侍の子として生まれる。幼名は佐吉。少年時代に長浜城主の秀吉に見出され、近侍として仕える。「三献茶」の逸話(寺で茶を出した際、最初はぬるく大きく、次第に熱く少なくした気配り)が有名。
秀吉の天下統一後、五奉行の筆頭として太閤検地の実務や朝鮮出兵の兵站を担当。卓越した行政能力を持つ一方で、加藤清正・福島正則ら武断派との対立が深まった。
秀吉の死後、徳川家康の台頭に危機感を抱き、1600年に挙兵。毛利輝元を総大将に据えて西軍を組織し、関ヶ原で決戦に臨むが、小早川秀秋の裏切りなどにより大敗。逃走後に捕縛され、京都六条河原で斬首された。

石田三成

