黒田官兵衛の生涯
播磨国姫路の小寺家の家臣の子として生まれる。織田家への臣従を主君に進言し、自ら信長に謁見。荒木村重の説得に向かうが、有岡城に約1年間幽閉される。この幽閉で足が不自由になったが、知略はさらに磨かれた。
秀吉の参謀として中国攻め、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いなどで活躍。竹中半兵衛と共に「二兵衛」と称された。九州征伐後、豊前6郡12万石を拝領。
秀吉に「次の天下人」と警戒され、隠居を強いられる。関ヶ原の戦いでは九州で独自に勢力を拡大(石垣原の戦い)するが、本戦が予想以上に早く終結し、天下取りの野望は潰えた。

黒田官兵衛


