岐阜城とは
岐阜城は、もともと斎藤道三が本拠とした稲葉山城でした。1567年、織田信長が斎藤氏を滅ぼしてこの城を攻略すると「岐阜」と改称し、「天下布武」の印章を使い始めた重要な本拠地となります。前身の稲葉山城時代の詳しい経緯は稲葉山城のページで解説しています。信長の没後は孫の織田秀信が城主となりますが、1600年、関ヶ原の前哨戦「岐阜城の戦い」で東軍に攻め落とされ、翌1601年、徳川家康の命により廃城となりました。
信長による攻略・改称 1567年
| 城名 | 岐阜城(前身: 稲葉山城) |
|---|---|
| 所在地 | 美濃国・稲葉山(現・岐阜県岐阜市) |
| 信長との関わり | 1567年、斎藤氏を滅ぼし攻略・改称 |
| 主な城主 | 織田信長(前身の城主は斎藤道三) |
| 現状 | 1600年の岐阜城の戦いで落城、1601年に廃城。現在の天守は1956年再建の模擬天守 |
岐阜城は、もともと斎藤道三が本拠とした稲葉山城でした。1567年、織田信長が斎藤氏を滅ぼしてこの城を攻略すると「岐阜」と改称し、「天下布武」の印章を使い始めた重要な本拠地となります。前身の稲葉山城時代の詳しい経緯は稲葉山城のページで解説しています。信長の没後は孫の織田秀信が城主となりますが、1600年、関ヶ原の前哨戦「岐阜城の戦い」で東軍に攻め落とされ、翌1601年、徳川家康の命により廃城となりました。
天正3年(1575)、家督とともに岐阜城を譲られ、天正10年(1582)の本能寺の変まで城主を務めた。
もとは斎藤道三の稲葉山城でしたが、1567年に織田信長が攻略し「岐阜」と改称、「天下布武」を掲げる本拠地としました。
はい、同じ場所(現在の岐阜県岐阜市)です。信長の攻略・改称を境に呼び名が変わりました。