今川義元の生涯
駿河・遠江の守護大名・今川氏親の五男。本来は出家して僧侶となるはずだったが、兄たちの相次ぐ死により還俗し、花倉の乱を経て1536年に家督を継ぐ。
軍師・太原雪斎の補佐を受けて駿河・遠江・三河の三カ国を支配し、「海道一の弓取り」と称された。甲相駿三国同盟を成立させ、武田・北条との安全を確保した上で西方への勢力拡大を図った。
1560年、2万5千(諸説あり)の大軍を率いて尾張に侵攻するが、桶狭間にて織田信長の急襲を受けて戦死。従来は上洛が目的とされてきたが、近年は尾張侵攻説が有力。東海の雄として隆盛を誇った今川家の没落の始まりとなった。

今川義元
