砥石城

真田幸隆が奪還 1551年

城名砥石城(戸石城)
所在地信濃国小県郡(現・長野県上田市)
築城時期不詳(当初は村上氏方の城)
主な城主真田幸隆(幸綱)。真田昌幸の代には上田城の支城として維持された
現状山城跡として遺構が残り、ハイキングコースとして整備

砥石城とは

砥石城(戸石城)は信濃国小県郡、現在の長野県上田市にあった山城で、真田氏の本拠・真田郷を見下ろす要害として重視された。1550年(天文19年)、北信濃の大名・村上義清の支城であったこの城を武田晴信(のちの信玄)が攻めたが、堅固な守りの前に大敗を喫し撤退した。世に言う「砥石崩れ」であり、信玄生涯でも数少ない敗戦の一つとして知られる。

翌1551年(天文20年)、武田方に転じていた真田昌幸の父・真田幸隆(幸綱)が調略によって城内の村上方を寝返らせ、無血で砥石城を落とすことに成功した。これにより真田氏は旧領を回復し、武田家臣団の中で確固たる地位を築くことになる。以後、砥石城は真田氏の重要な支城として機能し、1583年(天正11年)に昌幸が上田城を築いてからは、その背後を守る拠点として位置づけられた。1585年の第一次上田合戦の際には、昌幸の長男・信幸(信之)が砥石城の守りを固めたと伝わる。

1550年 武田晴信(信玄)が村上義清方の砥石城を攻めるが撃退される(砥石崩れ)
1551年 真田幸隆(幸綱)の調略により砥石城が落城、真田氏が旧領を回復
1583年 真田昌幸が上田城を築城し、砥石城はその背後を守る支城となる
1585年 第一次上田合戦に際し、昌幸の長男・信幸(信之)が砥石城の守備を担ったとされる
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ゆかりの武将

砥石城に関わった真田一族

1550~51年当時の城主は真田幸隆であり、真田昌幸は後の世代として上田城築城後にこの城を支城として維持した

武田家臣として攻略し、真田氏の拠点とした城

1551年、村上義清方の城であった砥石城を調略により奪取(「砥石崩れ」からの奪還)。以後、真田氏が上田城を築くまでの拠点の一つとなった。

砥石城攻めの砥石崩れで討死した武田家臣

天文19年(1550年)の砥石城攻めで武田軍が撤退する際に殿軍を務め、追撃する村上軍を一手に引き受けて討死した(砥石崩れ)。

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よくある質問

Q. 砥石城とは?

信濃国小県郡(現・長野県上田市)にあった山城で、1550年に武田信玄を撃退した「砥石崩れ」の舞台として知られる。

Q. 砥石崩れとは何か?

1550年、武田晴信(信玄)が村上義清方の砥石城を攻めたものの攻略できず撤退した戦いで、信玄生涯でも数少ない敗戦の一つとして知られる。

Q. 砥石城と真田昌幸の関係は?

1551年に真田昌幸の父・幸隆が調略でこの城を落とし真田氏の支城とした。昌幸の代には上田城の背後を守る拠点として維持された。

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