松代城とは
松代城は、元は武田氏が築いた海津城です。1622年、真田信之が上田から移封されてこの城を本拠とし、以後明治維新まで真田家10万石の本拠として続きました。
信之の入城 1622年
| 城名 | 松代城(別名: 海津城) |
|---|---|
| 所在地 | 信濃国・松代(現・長野県長野市) |
| 真田家との関わり | 1622年、信之が移封され本拠とする |
| 主な城主 | 真田信之 |
| 現状 | 以後明治まで真田家の本拠 |
松代城は、元は武田氏が築いた海津城です。1622年、真田信之が上田から移封されてこの城を本拠とし、以後明治維新まで真田家10万石の本拠として続きました。
松代城の前身・海津城は、武田信玄の命で川中島に築かれたとされ、『甲陽軍鑑』では山本勘助が普請にあたったと伝わる(史料的裏付けは乏しい)。
1582年の武田氏滅亡後、川中島四郡と海津城(後の松代城)20万石を与えられるが、同年の本能寺の変を受けてわずか数ヶ月で放棄し金山城へ退いた。
松代城は戦国期の「海津城」がその前身。永禄年間、武田信玄により川中島の対上杉最前線として整備され、高坂昌信(春日虎綱)が城代として入り、以後歴代の城代を務めた。江戸時代に真田氏が入封した際に松代城と改名されており、海津城と松代城は同一の城地である。
海津城(後の松代城)で城代・春日虎綱(高坂昌信)を補佐する副将を務め、上杉方に備える最前線の守将として活躍した。
小幡昌盛は父・小幡虎盛と共に対上杉最前線の海津城(後の松代城)に在番し、春日虎綱(高坂昌信)を補佐した。虎盛没後、海津城副将への昇進を打診されたがこれを固辞し信玄直属の旗本を望んで訴訟を起こしたため、信玄の怒りを買い甲府妙音寺に蟄居となった。後に赦免され、足軽大将として仕えた。
元は武田氏の海津城でしたが、1622年に真田信之が上田から移封されて本拠とし、以後明治維新まで真田家10万石の本拠として続きました。