真田昌幸の生涯
武田信玄の家臣・真田幸隆の三男。武田家に仕え、信玄・勝頼二代に仕える。武田家滅亡後、織田・北条・上杉に囲まれた中で巧みな外交を展開し、独立した領主としての地位を確立した。
1585年の第一次上田合戦では、わずか2千の兵で徳川軍7千を撃退。巧みな地形利用と計略で、数に勝る敵を翻弄した。秀吉に臣従後は領地を安堵され、信濃の有力大名となる。
1600年の関ヶ原では次男・信繁(幸村)と共に西軍に属し、第二次上田合戦で徳川秀忠率いる3万8千の大軍を足止め。秀忠を関ヶ原の本戦に遅参させるという大戦果を挙げた。敗戦後、高野山・九度山に流され、赦免を待たずに1611年に死去。

真田昌幸