府内城とは
大分府内城は、豊後国の中心地・府内(現在の大分市中心部)にあった城である。現在見られる石垣造りの本格的な城郭は、実は大友氏が改易された後の1597年(慶長2年)に福原直高が築城を始め、竹中重利が完成させたものであり、大友宗麟自身が築いた城ではない。ただし府内は、大友氏が中世を通じて拠点とした「大友氏館」を中心とする城下町であり、宗麟もこの地を本拠のひとつとして統治にあたった。
大友宗麟(当時は義鎮)は1550年の家督相続後、1551年にフランシスコ・ザビエルを府内に招いて謁見し、キリスト教布教を許可したことで知られる。もっとも宗麟自身は1562年頃からは臼杵城(丹生島城)を主な本拠としており、府内はその後も大友氏の政庁・城下町として機能し続けた。1586〜87年の豊薩合戦で島津氏の侵攻を受け、1593年に大友氏が改易されると、跡地に新たに近世城郭としての府内城が築かれた。
南北朝〜室町期
大友氏泰以来、大友氏が大分川河口付近に大友氏館を構え、府内の町が形成される
1550年(天文19年)
大友二階崩れの変を経て大友宗麟(義鎮)が家督を継ぐ
1551年(天文20年)
宗麟がフランシスコ・ザビエルを府内に招き、キリスト教布教を許可
1562年頃(永禄5年頃)
宗麟が臼杵城(丹生島城)へ本拠を移す
1586〜87年(天正14〜15年)
豊薩合戦で島津氏が豊後へ侵攻し、府内周辺も戦場となる
1593年(文禄2年)
大友義統(宗麟の子)が改易され、大友氏の豊後支配が終わる
1597年(慶長2年)
福原直高が近世城郭としての府内城の築城を開始
江戸期
竹中重利らにより府内城が完成し、府内藩の藩庁となる
1743年(寛保3年)
大火により天守などが焼失
現存する石垣造りの府内城そのものは大友氏改易後の1597年に築かれたものであり、大友宗麟が直接築いた城ではない点に注意。宗麟は府内館を中心とする城下町「府内」を本拠のひとつとして統治し、後年は臼杵城に主な本拠を移した。