GOGURYEO

高句麗

満州南部と朝鮮半島北部を基盤に、東アジアの国際関係で大きな存在感を示した北方国家。

高句麗を知る要点

おおよその存続
紀元前37年〜668年(『三国史記』の年代)
主な都
国内城・平壌
位置
満州南部・半島北部

どんな国家だったか

北方に広がる軍事国家

鴨緑江流域から発展し、満州南部と半島北部へ勢力を広げました。周辺諸国との軍事的緊張のなかで国家を拡大し、東アジアの外交・戦争に深く関わります。

平壌遷都と南進

427年、長寿王は国内城から平壌へ都を移しました。半島南部へ影響力を伸ばす政策と結びつき、百済・新羅との関係を変える転機になります。

隋・唐との対峙

7世紀には隋、続いて唐との大規模な戦争に直面します。内部の政治的対立も重なり、668年に新羅・唐連合によって滅亡しました。

史料の見どころ

広開土王碑は対外関係を知る重要な資料です。ただし碑文の解釈には議論があり、単純な一つの物語として扱わないことが大切です。

高句麗の代表人物

広開土王を想像して描いた歴史イメージ

広開土王

在位 391–413年

周辺地域へ積極的に軍事行動を展開し、高句麗の勢力拡大を象徴する王です。王の事績を記す碑文は、当時の対外関係を考える重要な手がかりになっています。

長寿王を想像して描いた歴史イメージ

長寿王

在位 413–491年

平壌遷都を実施し、南進政策を進めました。475年の百済漢城陥落は、三国間の力関係を大きく変えます。

淵蓋蘇文を想像して描いた歴史イメージ

淵蓋蘇文

7世紀の実力者

高句麗末期に政権を主導した人物です。唐との緊張が続くなかで軍事・政治を担い、その死後の内部対立は国家の行方に影響しました。

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時代の流れ

427
平壌へ遷都

長寿王が都を移し、半島南部への関与を強めます。

612
隋との戦争

隋の大軍と戦い、高句麗は軍事的緊張の中心になります。

668
高句麗滅亡

新羅・唐連合の攻勢のなかで滅亡しました。