漢江から西南部へ
百済は漢江流域を中心に成長しましたが、475年に高句麗の攻勢を受けて都を熊津へ移し、のちに泗沘へ移転します。都の移動は国家再建と対外戦略の変化を示します。
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漢江流域から西南部へ展開し、大陸・海を通じた交流を背景に文化を育んだ国家。
百済は漢江流域を中心に成長しましたが、475年に高句麗の攻勢を受けて都を熊津へ移し、のちに泗沘へ移転します。都の移動は国家再建と対外戦略の変化を示します。
中国南朝や倭との交流は、百済を理解する重要な視点です。人・技術・仏教文化の移動を通じて、百済は東アジアの海上ネットワークに参加しました。
高句麗に対抗するため百済と新羅が協力する時期がありました。一方で漢江流域をめぐる利害は衝突し、両国の関係は大きく変化します。
新羅・唐連合の攻勢によって百済は660年に滅亡しました。その後も復興を目指す動きが続き、白村江の戦いへつながります。

4世紀の百済の勢力拡大を象徴する王です。高句麗との戦いと対外交流の両面から、百済が強国化する時期を考える入口になります。

538年に都を泗沘へ移し、政治・制度の再編を進めました。新羅との関係が決定的に変わる時代の王でもあります。

百済最後の王です。660年の滅亡は一人だけでは説明できず、新羅・唐・高句麗を含む国際関係のなかで理解する必要があります。
高句麗の攻勢で漢城を失い、国家の再建を迫られます。
聖王のもとで新たな都を整え、政治制度を再編します。
新羅・唐連合の攻勢により都城が陥落します。