龍野城とは
龍野城は鶏籠山を中心とした山城「龍野古城」を前身とし、室町時代に赤松村秀によって築かれたと伝わる。天正5年(1577年)、羽柴秀吉の播磨侵攻によって開城し、以後は秀吉配下の武将が城主を歴任した。
天正8年(1580年)頃、秀吉の股肱の臣であった蜂須賀正勝(小六)が龍野城主となり、播磨支配と中国攻めの拠点とした。天正13年(1585年)の四国平定後、正勝は阿波一国を与えられる話を辞退して子・家政に譲り、自身は秀吉の側近として大坂で過ごし、天正14年(1586年)に没した。家政が阿波徳島へ転封した後は木下勝俊らが城主を継いだ。江戸時代には脇坂氏が入封し、現在に残る近世城郭の姿に整えられた。



