上月城

1578年(天正6年)落城

城名上月城
所在地兵庫県佐用郡佐用町上月
築城南北朝時代の築城と伝わる(異説あり)
主な城主尼子勝久
現状落城後廃城、現在は佐用町指定史跡として遺構が残る

上月城とは

尼子氏再興を目指す尼子勝久と山中鹿介は、羽柴秀吉の中国攻めに従い1577年に播磨の上月城を攻略し、旧領・出雲奪還への足がかりとした。

しかし毛利輝元・吉川元春・小早川隆景率いる大軍に包囲され、秀吉は三木城攻めを優先したため後詰めは実現しなかった。

1578年、孤立無援のまま上月城は落城し、尼子勝久は将兵の助命と引き換えに自刃、山中鹿介も護送中に殺害されたと伝わり、十年余に及んだ尼子再興運動は終焉を迎えた。

1577年 羽柴秀吉の中国攻めに従軍した尼子勝久と山中鹿介が上月城を攻略し入城した
1578年4月 毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の大軍が上月城を包囲した
1578年6月 羽柴秀吉が三木城攻めを優先し、上月城への後詰めを断念した
1578年7月 上月城が落城し、尼子勝久は将兵の助命と引き換えに自刃、尼子再興の夢は絶たれた
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よくある質問

Q. 上月城の戦いはなぜ尼子再興軍にとって悲劇となったのですか?

羽柴秀吉が三木城攻めを優先して後詰めを送れず、毛利の大軍に包囲された上月城は孤立無援のまま落城し、尼子勝久は自刃に追い込まれました。

Q. 上月城の戦いと山中鹿介の関係は?

尼子再興の中心人物であった山中鹿介は、落城後に毛利方に捕らえられ、護送中に殺害されたと伝わります。

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