上月城とは
尼子氏再興を目指す尼子勝久と山中鹿介は、羽柴秀吉の中国攻めに従い1577年に播磨の上月城を攻略し、旧領・出雲奪還への足がかりとした。
しかし毛利輝元・吉川元春・小早川隆景率いる大軍に包囲され、秀吉は三木城攻めを優先したため後詰めは実現しなかった。
1578年、孤立無援のまま上月城は落城し、尼子勝久は将兵の助命と引き換えに自刃、山中鹿介も護送中に殺害されたと伝わり、十年余に及んだ尼子再興運動は終焉を迎えた。
1578年(天正6年)落城
| 城名 | 上月城 |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県佐用郡佐用町上月 |
| 築城 | 南北朝時代の築城と伝わる(異説あり) |
| 主な城主 | 尼子勝久 |
| 現状 | 落城後廃城、現在は佐用町指定史跡として遺構が残る |
尼子氏再興を目指す尼子勝久と山中鹿介は、羽柴秀吉の中国攻めに従い1577年に播磨の上月城を攻略し、旧領・出雲奪還への足がかりとした。
しかし毛利輝元・吉川元春・小早川隆景率いる大軍に包囲され、秀吉は三木城攻めを優先したため後詰めは実現しなかった。
1578年、孤立無援のまま上月城は落城し、尼子勝久は将兵の助命と引き換えに自刃、山中鹿介も護送中に殺害されたと伝わり、十年余に及んだ尼子再興運動は終焉を迎えた。
羽柴秀吉が三木城攻めを優先して後詰めを送れず、毛利の大軍に包囲された上月城は孤立無援のまま落城し、尼子勝久は自刃に追い込まれました。
尼子再興の中心人物であった山中鹿介は、落城後に毛利方に捕らえられ、護送中に殺害されたと伝わります。