一般

尼子勝久

— 尼子再興の旗頭 —

尼子 大名

名前尼子勝久
本名・幼名勝久
異名尼子再興の旗頭
生年1553年
没年1578年
出身出雲国(島根県)
勢力尼子
役職大名

尼子勝久の生涯

尼子勝久は、毛利氏との抗争のなかで没落した尼子氏を再興しようとした人物です。若年期には京都・東福寺の僧侶だったとされますが、のちに還俗して尼子氏の再興運動に加わりました。

尼子氏旧臣の山中鹿介らは、勝久を掲げて出雲への復帰を目指しました。勝久は、かつて大きな勢力を持った尼子氏の正統性を示す旗印であり、個人の武名だけでなく、旧臣たちを結び付ける存在として重要でした。

1578年、播磨の上月城で毛利軍に包囲されると、勝久らは開城条件のなかで自刃しました。山中鹿介は生け捕りとなり、その後に殺害されます。上月城での敗北によって尼子再興の試みは終わり、勝久の生涯は戦国大名家が再起を図る難しさを示す事例となりました。

1553年 誕生
1578年 死去

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性格・人物像

勝久は「名将」としての派手な戦功よりも、滅亡した尼子氏を再興しようとする旧臣たちの中心に置かれた人物です。勝久と山中鹿介ら旧臣団の結び付きは、尼子再興戦の目的と悲劇性を示しています。

トリビア

  • 島根県立古代出雲歴史博物館は、勝久が若い頃に東福寺の僧侶で、還俗後に尼子氏再興を目指した人物として紹介している。
  • 同館には尼子勝久書状、尼子一族図、尼子氏関係の史料が収蔵され、勝久を主題にした展示も行われた。
  • 上月城跡は、尼子勝久らが自刃し、尼子再興戦が終結した場所として知られる。

歴史的議論

勝久は山中鹿介に担がれた人物として語られがちですが、尼子氏旧臣が名門の再興を目指した運動には、政治的・軍事的な背景がありました。勝久自身の動きと旧臣団の活動を分けて考えることで、その構造が見えます。

最期

1578年、上月城の開城に際して自刃しました。佐用町の解説では、山中幸盛が降伏を申し入れ、その結果として尼子勝久らが切腹したことが紹介されています。

参考資料

参戦した合戦

人物関係

主従

親族

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よくある質問

Q. 尼子勝久の出身はどこ?

尼子勝久は出雲国(現在の島根県)の出身です。

Q. 尼子勝久の代表的な戦いは?

尼子勝久は上月城の戦いに参戦しています。

Q. 尼子勝久の異名は?

尼子勝久は「尼子再興の旗頭」と呼ばれています。

Q. 尼子勝久の最期は?

1578年、上月城の開城に際して自刃しました。佐用町の解説では、山中幸盛が降伏を申し入れ、その結果として尼子勝久らが切腹したことが紹介されています。

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