尼子勝久の生涯
尼子勝久は、毛利氏との抗争のなかで没落した尼子氏を再興しようとした人物です。若年期には京都・東福寺の僧侶だったとされますが、のちに還俗して尼子氏の再興運動に加わりました。
尼子氏旧臣の山中鹿介らは、勝久を掲げて出雲への復帰を目指しました。勝久は、かつて大きな勢力を持った尼子氏の正統性を示す旗印であり、個人の武名だけでなく、旧臣たちを結び付ける存在として重要でした。
1578年、播磨の上月城で毛利軍に包囲されると、勝久らは開城条件のなかで自刃しました。山中鹿介は生け捕りとなり、その後に殺害されます。上月城での敗北によって尼子再興の試みは終わり、勝久の生涯は戦国大名家が再起を図る難しさを示す事例となりました。