亀山城とは
亀山城は、明智光秀が丹波国を攻略している最中の1578年、その拠点として築いた城です(丹波平定の完了は翌1579年)。平定後もそのまま統治の拠点として使われ続け、1582年の本能寺の変の際には、光秀はこの亀山城から「敵は本能寺にあり」の言葉とともに出陣したと伝わっています。
光秀の出陣 1582年
| 城名 | 亀山城 |
|---|---|
| 所在地 | 丹波国・亀山(現・京都府亀岡市) |
| 築城 | 1578年、光秀が丹波攻略の拠点として築城(丹波平定は1579年) |
| 主な城主 | 明智光秀 |
| 出来事 | 1582年、本能寺の変への出陣拠点 |
亀山城は、明智光秀が丹波国を攻略している最中の1578年、その拠点として築いた城です(丹波平定の完了は翌1579年)。平定後もそのまま統治の拠点として使われ続け、1582年の本能寺の変の際には、光秀はこの亀山城から「敵は本能寺にあり」の言葉とともに出陣したと伝わっています。
豊臣政権の五奉行の一人として京都の行政を担い、文禄4年(1595年)に5万石を与えられて丹波亀山城主となった。
1582年、明智光秀は本能寺の変の際、この亀山城から出陣したと伝わっています。