亘理城とは
亘理城は天正年間に亘理元宗が築いた城です。関ヶ原合戦後の1602年(慶長7年)、伊達成実が白石城からこの城に転じ、城主となりました。成実は城の改修と城下町の建設を進め、亘理伊達家初代当主となります。
江戸幕府の一国一城令が出された後は「亘理要害」と呼ばれましたが、伊達家の重臣の城として存続を許され、成実の子孫は明治維新に至るまで亘理伊達氏として亘理郡を治め続けました。
1602年、伊達成実が入城
| 城名 | 亘理城(別名: 亘理要害・臥牛城) |
|---|---|
| 所在地 | 陸奥国・亘理(現・宮城県亘理郡亘理町) |
| 築城/入城など | 天正年間(1573~92年)に亘理元宗が築城。1602年(慶長7年)、伊達成実が白石城から転じて入城 |
| 主な城主 | 伊達成実 |
| 現状 | 本丸跡に亘理神社が建立され、伊達成実が祀られている |
亘理城は天正年間に亘理元宗が築いた城です。関ヶ原合戦後の1602年(慶長7年)、伊達成実が白石城からこの城に転じ、城主となりました。成実は城の改修と城下町の建設を進め、亘理伊達家初代当主となります。
江戸幕府の一国一城令が出された後は「亘理要害」と呼ばれましたが、伊達家の重臣の城として存続を許され、成実の子孫は明治維新に至るまで亘理伊達氏として亘理郡を治め続けました。
亘理元宗は伊達稙宗の子として亘理氏を継ぎ、旧来の小堤城に代えて新たに亘理城を築き居城とした。天正19年(1591年)、子孫の亘理重宗が涌谷城へ移った後は片倉景綱が城主となり、景綱が慶長7年(1602年)に白石城へ移った跡を受けて伊達成実が亘理城主となった。
1602年に伊達成実が入城して以降、その子孫である亘理伊達氏が明治維新まで代々城主を務めました。
関ヶ原合戦後の1602年、それまでの居城・白石城から亘理城へ転じ、亘理伊達家の初代当主として城下町を整備しました。