虎居城とは
虎居城は、平安時代末期にこの地の郡司であった大前氏が築いたとされる城で、後に祁答院氏が本拠とした。川内川が大きく蛇行して天然の堀を形成する要害の地に位置し、北薩摩の穀倉地帯へと通じる祁答院地方支配の要であった。
島津貴久の三男島津歳久は、祁答院氏らの反乱を鎮圧した戦功により祁答院十二郷を与えられ、天正8年(1580年)に虎居城へ入った。以後、歳久は没するまでこの城を本拠とし、その直属の家臣団は「祁答院衆」と呼ばれる精強な軍団として知られた。
天正20年(1592年)、豊臣秀吉の怒りを買った歳久は兄・義久による追討を受け、鹿児島の竜ヶ水で自刃した。虎居城に残った家臣団は主君の死を悼み、3000人もの兵が城に立て籠もったと伝わる。



