虎居城

1580年、島津歳久が入城

城名虎居城(とらいじょう)
所在地鹿児島県薩摩郡さつま町(旧宮之城町)
入城1580年(天正8年)、島津歳久
主な城主島津歳久
現状城跡の一部が残り、宮之城高校周辺に比定される

虎居城とは

虎居城は、平安時代末期にこの地の郡司であった大前氏が築いたとされる城で、後に祁答院氏が本拠とした。川内川が大きく蛇行して天然の堀を形成する要害の地に位置し、北薩摩の穀倉地帯へと通じる祁答院地方支配の要であった。

島津貴久の三男島津歳久は、祁答院氏らの反乱を鎮圧した戦功により祁答院十二郷を与えられ、天正8年(1580年)に虎居城へ入った。以後、歳久は没するまでこの城を本拠とし、その直属の家臣団は「祁答院衆」と呼ばれる精強な軍団として知られた。

天正20年(1592年)、豊臣秀吉の怒りを買った歳久は兄・義久による追討を受け、鹿児島の竜ヶ水で自刃した。虎居城に残った家臣団は主君の死を悼み、3000人もの兵が城に立て籠もったと伝わる。

1580年 島津歳久が祁答院平定後に虎居城主となる
1592年 豊臣秀吉の命による討伐を受け、歳久は竜ヶ水で自刃。虎居城には祁答院衆が立て籠もったと伝わる
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ゆかりの武将

祁答院領主としての虎居城主時代

直属の家臣団「祁答院衆」を率い、没するまで本拠とした。

よくある質問

Q. 虎居城はどこにありますか?

鹿児島県薩摩郡さつま町、旧宮之城町にあたる地域で、川内川が大きく蛇行する地形を利用した城跡とされる。

Q. 島津歳久はなぜ虎居城に入ったのですか?

祁答院氏ら在地勢力の反乱を鎮圧した戦功により祁答院十二郷を与えられ、天正8年(1580年)に虎居城へ入城し、以後没するまでの本拠とした。

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