鞆城

1576年〜 鞆幕府の地

城名鞆城
所在地広島県福山市鞆町(備後国沼隈郡)
築城/入城など1576年(天正4年)足利義昭が入り「鞆幕府」を開いたとされる/1609年頃 福島正則が改修
主な城主足利義昭(亡命政権「鞆幕府」)
現状現在は鞆の浦歴史民俗資料館が建つ

鞆城とは

1573年に織田信長によって京を追放された室町幕府15代将軍・足利義昭は、各地を転々とした末、1576年(天正4年)に毛利氏を頼って備後国鞆(現・広島県福山市)に入った。当時この地にあった砦は「鞆要害」と呼ばれ、義昭はここを拠点に約11年間、諸国の大名や寺社へ御教書を発するなど将軍としての権威を保ち続けた。この亡命政権は後世「鞆幕府」と呼ばれている。

義昭は1587年頃に鞆を離れて京へ帰還した。現在に伝わる本格的な城郭としての鞆城は、義昭の時代よりのちの江戸時代初期、1609年頃に安芸備後を領した福島正則が改修・築城したもので、三層の天守もあったと伝わるが、まもなく廃城となった。

1573年 信長に京を追放された足利義昭が各地を転々とする
1576年 足利義昭が毛利氏を頼って備後鞆に入り、亡命政権「鞆幕府」を開いたとされる
1587年 毛利氏の情勢変化などにより、足利義昭は鞆を離れて京へ帰還
1609年頃 福島正則により鞆要害が改修され、鞆城として整備された
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亡命政権「鞆幕府」を開いた人物

よくある質問

Q. 鞆城と足利義昭の関係は?

1576年、織田信長に京を追われた足利義昭が毛利氏を頼ってこの地に入り、以後約11年間にわたり亡命政権「鞆幕府」を営んだとされる地です。当時は「鞆要害」と呼ばれていました。

Q. 鞆城という名前の城はいつできたのですか?

現在に伝わる鞆城の姿は、義昭が去った後の江戸初期、1609年頃に福島正則が改修したものです。義昭の時代は簡易な要害・御座所であったとされます。

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