富山城(備前国)とは
富山城は岡山県岡山市北区矢坂東町にあった山城で、「とみやまじょう」と読む。応仁元年(1467年)には富山長頼が松田元隆の攻撃を受けて自害し富山氏が滅亡するなど、備前における攻防の要衝であった。
永禄11年(1568年)、金川城とともに宇喜多直家によって攻略され、以後は直家の弟である宇喜多忠家が城主を任された。忠家は西の丸・東出丸を新たに築くなど城の拡張を進め、宇喜多氏の勢力拡大を支える拠点の一つとした。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が西軍主力として敗れ改易されると、翌年に小早川秀秋が備前に入封したことに伴い、富山城は廃城になったと考えられている。



