寺池城

戦国時代

城名寺池城(登米要害)
所在地宮城県登米市登米町寺池
築城/入城など葛西氏により築城、戦国末期に葛西晴信の居城として機能
主な城主葛西晴信
現状市街地化により遺構はほぼ消失。寺池城趾公園として整備

寺池城とは

寺池城は宮城県登米市登米町寺池にあった平山城で、奥州の名族・葛西氏の居城として知られる。築城年代は明らかでないが、葛西氏がこの地に本拠を移した時期は諸説あり判然としないが、鎌倉時代または南北朝時代とする説が有力とされ、第17代当主・葛西晴信の代には葛西氏の中心的な居城として機能した。

天正18年(1590)、小田原参陣を怠ったとして豊臣秀吉の奥州仕置により晴信は改易され、葛西氏は滅亡した。その後は木村吉清が一時居城としたが葛西大崎一揆で落城し、慶長9年(1604)には伊達政宗の家臣・白石宗直が入城・改修して居城とした。

不詳 葛西氏により築城されたと伝わる
戦国時代 葛西晴信の居城として機能
1590年 小田原参陣を怠り、奥州仕置により晴信は改易・葛西氏滅亡
1591年 葛西大崎一揆により落城
1604年 伊達政宗の家臣・白石宗直が入城し修築、居城とする
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葛西氏の居城

奥州の名族・葛西氏最後の本拠

よくある質問

Q. 葛西晴信と寺池城の関係は?

寺池城は奥州の名族・葛西氏の居城で、最後の当主となった葛西晴信もここを本拠とした。小田原参陣を怠ったことで秀吉の奥州仕置により改易され、葛西氏は滅亡している。

Q. 寺池城は今も見られますか?

現在は宅地化・公共施設化が進み城郭遺構はほとんど残っていないが、寺池城趾公園として整備され、城下町の町並みに当時の面影が残る。

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