高遠城

信玄の攻略 1545年(天文14年)

城名高遠城(たかとおじょう)
所在地長野県伊那市高遠町
築城/攻略諏訪一族・高遠氏の居城とされ、1545年(天文14年)武田信玄が攻略
主な城主武田信玄、仁科盛信(信玄の五男)
現状高遠城址公園(国の史跡・さくらの名所)

高遠城とは

高遠城は信濃伊那谷にあり、諏訪から伊那谷へ抜ける交通の要衝を押さえる城として、南北朝期以来この地を治めた諏訪一族・高遠氏の居城だったとされる。1545年(天文14年)、武田信玄が高遠頼継を降してこの地を制圧すると、以後は武田氏の信濃・遠江方面への進出拠点として重視され、1547年には山本勘助や秋山虎繁(信友)らによって大規模な改修が行われたと『甲陽軍鑑』は伝える。

1581年、武田勝頼は新府城への本拠移転にあわせて異母弟・仁科盛信を高遠城主とした。1582年の甲州征伐で織田信忠率いる大軍が来襲すると、信濃の武田方諸城が次々と降伏する中、盛信のみは降伏勧告を拒んで抗戦し、守備隊もろとも玉砕したと伝わる。この高遠城の落城が武田氏滅亡の直接的な引き金になったとされる。

1545年 武田信玄が高遠頼継を降し、高遠城を武田領に組み込んだ。
1547年 山本勘助・秋山虎繁らにより大規模な改修が行われ、伊那谷支配の拠点として整えられたとされる。
1581年 武田勝頼が異母弟・仁科盛信を高遠城主とした。
1582年 甲州征伐で織田信忠軍が来襲。仁科盛信は降伏を拒んで抗戦したが落城し自刃、まもなく武田氏は滅亡した。
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ゆかりの武将

城主を務めた人物

晩年は信玄の子・仁科盛信が城主として最期の抗戦を行った

大改修の縄張りを担ったと伝わる城

1547年の武田氏による高遠城大改修で縄張りをしたと伝わり、城内に残る「勘助曲輪」の名がその伝承に由来する。

信玄の拠点を辿る

躑躅ヶ崎館 要害山城 高遠城 深志城

よくある質問

Q. 高遠城とは?

信濃伊那谷にあった城で、1545年に武田信玄が攻略して以降は武田氏の伊那支配・南進の拠点となった。1582年には仁科盛信が織田軍相手に抗戦し落城したことで知られる。

Q. 高遠城の戦いとは?

1582年の甲州征伐において、武田勝頼の異母弟・仁科盛信が高遠城で織田信忠の大軍を迎え撃った戦い。降伏を拒んで玉砕し、この落城が武田氏滅亡を決定づけたとされる。

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