高崎城とは
高崎城は、徳川家康の関東移封に伴い箕輪城主となっていた井伊直政が、1598年(慶長3年)に新たに築いた近世城郭である。中山道と三国街道が分岐するこの地は交通・軍事の要衝であり、家康は直政に築城を命じたとされる。
郭内だけで5万坪を超える広大な城で、箕輪城下から町屋や社寺を移して新たな城下町も整備された。直政は1600年の関ヶ原の戦いで功をあげ、戦後は近江佐和山18万石へ加増転封となったため、高崎城の在城期間は2〜3年ほどにとどまった。
築城 1598年
| 城名 | 高崎城 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県高崎市(上野国群馬郡) |
| 築城/入城など | 1598年(慶長3年)井伊直政が築城 |
| 主な城主 | 井伊直政 |
| 現状 | 乾櫓・東門が復元され、高崎城址公園として整備 |
高崎城は、徳川家康の関東移封に伴い箕輪城主となっていた井伊直政が、1598年(慶長3年)に新たに築いた近世城郭である。中山道と三国街道が分岐するこの地は交通・軍事の要衝であり、家康は直政に築城を命じたとされる。
郭内だけで5万坪を超える広大な城で、箕輪城下から町屋や社寺を移して新たな城下町も整備された。直政は1600年の関ヶ原の戦いで功をあげ、戦後は近江佐和山18万石へ加増転封となったため、高崎城の在城期間は2〜3年ほどにとどまった。
徳川四天王の一人・井伊直政が1598年(慶長3年)に築城しました。中山道と三国街道の分岐点を押さえる目的で、徳川家康の命により築かれた近世城郭です。
1598年の築城から、1600年の関ヶ原の戦い後に近江佐和山へ加増転封となるまでの約2〜3年間、高崎城を居城としました。