高嶺城

大寧寺の変 1551年

城名高嶺城
所在地周防国・山口(現・山口県山口市)
背景1551年、大寧寺の変で大内義隆が自害
築城した人物大内義長(義隆没後の当主、本サイトのデータベース未収録)

高嶺城とは

高嶺城は、大内氏最後の当主・大内義長が築いた詰城です。1551年、家臣・陶晴賢の謀反(大寧寺の変)により当主・大内義隆が自害に追い込まれ、さらに1555年の厳島の戦いで陶晴賢が毛利元就に敗死すると、跡を継いだ義長が毛利氏の侵攻に備えて1556年頃に築城しました。義隆自身はこの城の築城には関与していません。

1551年 家臣・陶晴賢の謀反(大寧寺の変)で大内義隆が自害
1555年 厳島の戦いで陶晴賢が毛利元就に敗死
1556〜1557年 義隆の跡を継いだ大内義長が、毛利氏の侵攻に備え高嶺城を築城
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築城した人物

大内義隆自身はこの城の築城には関与していません。築城したのは義隆没後の当主・大内義長ですが、本サイトのデータベースには未収録のため、義隆の生涯の結末として本ページを位置づけています。

よくある質問

Q. 高嶺城は大内義隆が築いた?

いいえ。義隆自身は1551年の大寧寺の変で自害しており、高嶺城の築城には関与していません。築城したのは義隆の跡を継いだ大内義長で、1556年頃、毛利氏の侵攻に備えて築きました。

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