高畠城

戦国時代

城名高畠城(屋代高畠城)
所在地山形県東置賜郡高畠町大字高畠
築城承安年間(1171年-1174年)伝承、樋爪季衡による築城と伝わる
主な城主樋爪氏、伊達氏(小梁川親宗・小梁川盛宗)、上杉氏家臣(春日氏)
現状城跡は高畠町立高畠小学校の敷地となり、土塁と内堀の一部が残存(高畠町指定史跡)

高畠城とは

高畠城は出羽国置賜郡(現在の山形県東置賜郡高畠町)に築かれた平城で、古くは樋爪氏の居城であったと伝わる。伊達氏の勢力が置賜地方に及ぶと、伊達家の重臣であった小梁川氏がこの城を任され、伊達領国北方の要としての役割を担った。

小梁川盛宗は伊達晴宗の娘婿として伊達氏に仕え、高畠城主として最上氏の武将・里見民部との戦いや大内定綱との戦いで武功を挙げた。伊達輝宗の死後は隠居し、若き伊達政宗の側近・相談役として献策を続けたと伝えられる。

伊達氏が米沢から岩出山、さらに仙台へと本拠を移すと、置賜地方は上杉氏の所領となり、高畠城には上杉家臣の春日氏らが入った。江戸時代を通じて米沢藩の支城として機能し、現在城跡は高畠町立高畠小学校の敷地となっている。

1171年頃(伝承) 樋爪季衡により高畠城が築かれたと伝わる
戦国時代 伊達氏の勢力拡大に伴い、小梁川氏が城主として入る
1523年 小梁川盛宗誕生
1570年(元亀元年) 中野宗時・牧野久仲父子の出奔(元亀の変)の際、盛宗は追討の場でこれを見逃し、義弟・伊達輝宗の怒りを買ったと伝わる
1595年 小梁川盛宗没(享年73)
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ゆかりの武将

伊達氏重臣・小梁川盛宗の居城

小梁川盛宗は高畠城主として伊達氏に仕え、伊達政宗の側近としても知られた。

よくある質問

Q. 高畠城の城主は誰でしたか?

戦国時代には伊達氏の重臣・小梁川盛宗が城主を務め、後に上杉氏の家臣である春日氏らが入城しました。

Q. 高畠城の跡地は現在どうなっていますか?

現在は高畠町立高畠小学校の敷地となっており、土塁と内堀の一部が残り高畠町指定史跡となっています。

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