白石城とは
白石城は陸奥国白石(現在の宮城県白石市)にあった城で、南北朝時代以来の城とされるが、戦国末期から江戸初期にかけて伊達氏・蒲生氏・上杉氏の間で争奪の対象となった。
慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦の中で伊達政宗方がこの城を攻略し、翌慶長7年(1602年)に政宗の重臣で幼少期から仕えた片倉小十郎景綱に与えられた。以後、江戸幕府の一国一城令のもとでも仙台藩の例外的な支城として存続を許され、片倉氏が代々城主を務めた。
1602年 片倉家拝領
| 城名 | 白石城(しろいしじょう) |
|---|---|
| 所在地 | 宮城県白石市(陸奥国) |
| 築城/入城など | 1602年(慶長7年)伊達政宗より片倉小十郎景綱が拝領 |
| 主な城主 | 片倉小十郎景綱以降、片倉氏代々 |
| 現状 | 天守相当の大櫓・門などが復元され、白石城跡として公開 |
白石城は陸奥国白石(現在の宮城県白石市)にあった城で、南北朝時代以来の城とされるが、戦国末期から江戸初期にかけて伊達氏・蒲生氏・上杉氏の間で争奪の対象となった。
慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦の中で伊達政宗方がこの城を攻略し、翌慶長7年(1602年)に政宗の重臣で幼少期から仕えた片倉小十郎景綱に与えられた。以後、江戸幕府の一国一城令のもとでも仙台藩の例外的な支城として存続を許され、片倉氏が代々城主を務めた。
大坂の陣では病床の父・片倉景綱に代わって出陣し、「鬼小十郎」と恐れられる武功を挙げた。景綱の死後(元和元年/1615年)、家督と白石城を継承して二代目城主となった。
白石宗実は刈田・白石氏の子孫として先祖伝来の白石城を治めたが、天正14年に宮森城主へ移封され、白石城は後に伊達氏直轄となり片倉景綱以降は片倉氏の城として明治まで存続した。
屋代景頼は天正14年(1586年)に白石城主となり天正19年(1591年)まで在城、その後は9年間にわたり岩出山城の留守居役として政宗不在中の伊達領国統治を任された。
伊達政宗の重臣であった片倉小十郎景綱が慶長7年(1602年)に政宗から与えられて以降、片倉氏が代々城主を務めた。
仙台藩にはすでに仙台城があったが、片倉氏の功績と徳川家康の計らいにより、白石城は例外的に存続を許されたと伝わる。