新府城とは
新府城は、長篠の戦いでの大敗後、武田勝頼が甲府から本拠を移すために築いた城です。しかし築城は完了しておらず、勝頼が入城してわずか68日後、織田・徳川連合軍の甲斐侵攻を受けると、勝頼は未完成のこの城に火を放って逃れました。その後、勝頼は天目山で自害し、武田氏は滅亡しています。
築城 1581年 〜 放棄 1582年
| 城名 | 新府城 |
|---|---|
| 所在地 | 甲斐国・新府(現・山梨県韮崎市) |
| 築城 | 1581年、武田勝頼が築城 |
| 主な城主 | 武田勝頼 |
| 最期 | 1582年、未完成のまま勝頼自ら放棄・炎上(入城からわずか68日後) |
新府城は、長篠の戦いでの大敗後、武田勝頼が甲府から本拠を移すために築いた城です。しかし築城は完了しておらず、勝頼が入城してわずか68日後、織田・徳川連合軍の甲斐侵攻を受けると、勝頼は未完成のこの城に火を放って逃れました。その後、勝頼は天目山で自害し、武田氏は滅亡しています。
1582年、織田・徳川連合軍による甲斐侵攻を受け、武田勝頼は入城からわずか68日で籠城を諦め、未完成のこの城に自ら火を放ち逃れました。その後、勝頼は天目山で自害し武田氏は滅亡しています。