佐沼城

1591年

城名佐沼城
所在地宮城県登米市迫町佐沼字内町
築城文治年間(1185年-1190年)、藤原秀衡の家臣・照井高直による築城と伝わる
主な城主葛西氏、湯目(津田)景康、津田氏、亘理氏
現状1871年に廃城。曲輪跡・堀切・土塁が登米市指定史跡として残る

佐沼城とは

佐沼城は陸奥国栗原郡(現在の宮城県登米市)に築かれた平城で、奥州藤原氏の家臣・照井高直による築城と伝わる。中世を通じて葛西氏の支配下にあり、大崎地方の要衝として重視された。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置に反発した旧葛西・大崎家臣らが蜂起した葛西大崎一揆では、佐沼城は一揆勢の重要な拠点となった。伊達政宗はこれを鎮圧して所領に組み込み、若き頃から自身に近侍していた重臣・湯目景康を天正19年(1591年)に佐沼城主として配置した。

景康は政宗から「津田」の姓を賜り、以後その子孫は津田氏を称して佐沼城主を7代にわたり務めた。江戸中期の宝暦7年(1757年)以降は亘理氏が城主を継ぎ、明治の廃藩置県まで支配が続いた。

1185年-1190年(伝承) 照井高直により佐沼城が築かれたと伝わる
1590年-1591年 葛西大崎一揆が発生し、佐沼城が一揆勢の拠点となる
1591年 伊達政宗が一揆を鎮圧し、湯目景康を佐沼城主とする
1616年 景康、大坂夏の陣後に加増され再び佐沼城主となる
1757年 亘理氏が佐沼城主となり幕末まで続く
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ゆかりの武将

伊達重臣・湯目景康が城主を歴任

湯目景康は葛西大崎一揆鎮圧後に佐沼城主となり、後に津田姓を賜って津田氏の祖となった。

よくある質問

Q. 佐沼城はどのような歴史的事件の舞台になりましたか?

天正18年(1590年)に発生した葛西大崎一揆の際、一揆勢の重要な拠点となり、伊達政宗による鎮圧の対象となりました。

Q. 湯目景康と佐沼城の関係は?

景康は一揆鎮圧後の天正19年(1591年)に佐沼城主に任じられ、後に津田姓を賜って津田氏として佐沼城主を代々務める家系の祖となりました。

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