三戸城

1590年

城名三戸城
所在地青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下
築城天文8年(1539年)
主な城主南部信直
現状国史跡・三戸城跡城山公園として整備

三戸城とは

三戸城は青森県三戸郡三戸町大字梅内にあった山城で、通称を留ヶ崎城という。天文8年(1539年)、南部晴政の代に本三戸城が家臣の放火で焼失したことを受けて新たに築かれたと伝わる。

天正10年(1582年)(異説として天正9年など諸説あり)、南部信直が三戸南部氏の家督を継いで三戸城に入城したとされる。天正18年(1590年)には小田原参陣を経て豊臣秀吉から所領安堵の朱印状を得ており、これにより三戸城が南部氏の本城として位置づけられたと考えられている。

翌天正19年(1591年)、同族の九戸政実が反乱を起こす(九戸政実の乱)が、信直は秀吉に援軍を要請してこれを鎮圧。乱後、蒲生氏郷によって近世城郭に改修された九戸城を「福岡城」と改称して居城を移し、三戸城は南部氏の本城としての役割を終えた。

1539年 三戸南部氏の居城として三戸城が築かれる
1582年 南部信直が三戸南部氏の家督を継ぎ三戸城に入城
1590年 豊臣秀吉の朱印状により三戸城が正式に南部氏の居城と定められる
1591年 九戸政実の乱が起こるが南部信直が秀吉の援軍を得て鎮圧
1591年 乱平定後、蒲生氏郷が改修した九戸城(福岡城)に居城を移す
2022年 国史跡に指定
広告

ゆかりの武将

南部信直と三戸城

関連する合戦

よくある質問

Q. 三戸城は今どうなっていますか?

国史跡「三戸城跡城山公園」として整備されており、石垣や土塁などの遺構が残るほか、桜の名所としても知られています。

Q. 南部信直はなぜ三戸城を離れたのですか?

天正19年(1591年)の九戸政実の乱平定後、蒲生氏郷が改修した九戸城を「福岡城」と改称して居城を移したためです。

APP アプリでもっと深く

気になった武将も合戦も、アプリなら横断して辿れる。

サイトで見つけた入口から、アプリでは人物・合戦・関係図・地図を行き来しながら、気になる戦国を深掘りできます。

  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
戦国図鑑をアプリで深掘りする Google Play で入手