雑賀城

築城 不詳(戦国期)

城名雑賀城(妙見山城)
所在地和歌山県和歌山市和歌浦中(紀伊国名草郡)
築城/入城など戦国期 鈴木氏(鈴木重意/佐太夫)が築城と伝わる
主な城主鈴木重秀(雑賀孫一)と伝わる
現状遺構はほとんど残らず、城跡山公園として整備

雑賀城とは

雑賀城は、紀伊国雑賀荘(現・和歌山市和歌浦)の妙見山に築かれた丘城で、妙見山城とも呼ばれる。鉄砲・大筒に長けた傭兵集団として畿内の戦局を左右した雑賀衆の有力者・鈴木氏が築いたと伝わり、鈴木重意(佐太夫)の代からその子・鈴木重秀(雑賀孫一)にかけての本拠のひとつとされる。

雑賀衆は石山合戦で本願寺方として織田信長を苦しめたことで知られ、重秀もその中心人物のひとりであった。1585年の羽柴秀吉による紀州征伐で雑賀衆の抵抗が終わると城は廃されたとみられ、重秀自身もその後は雑賀に戻った形跡がなく、大坂で生涯を終えたと考えられている。

戦国期 鈴木氏(鈴木佐太夫)が雑賀荘の妙見山に城を築いたと伝わる
1570年代 鈴木重秀(雑賀孫一)ら雑賀衆が石山合戦で本願寺方として織田信長と戦う
1585年 羽柴秀吉の紀州征伐により雑賀城は廃城となったとみられる
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雑賀衆を率いた人物

よくある質問

Q. 雑賀城とはどんな城ですか?

紀伊国雑賀荘(現・和歌山市和歌浦)の妙見山に築かれた丘城で、鉄砲傭兵集団・雑賀衆を率いた鈴木氏の居城のひとつとされます。妙見山城とも呼ばれます。

Q. 雑賀孫一(鈴木重秀)との関係は?

雑賀衆の頭領であった鈴木重秀(雑賀孫一)は城を築いたと伝わる鈴木氏一族の出身で、雑賀城はその本拠のひとつとされています。1585年の秀吉の紀州征伐で廃城になったとみられます。

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