忍城

築城 1478年頃/石田三成の水攻めに耐えた籠城戦 1590年

城名忍城(おしじょう)
所在地埼玉県行田市(武蔵国埼玉郡)
築城/入城など1478年頃 成田氏が築城/1590年 豊臣方の水攻めに耐え、小田原征伐で最後まで抵抗
主な城主甲斐姫(城主・成田氏長の娘、留守を守った)
現状本丸跡に行田市郷土博物館・御三階櫓(外観復興)が建つ

忍城とは

忍城は文明10年(1478年)頃、成田正等・顕泰父子が築いたと伝わる城で、周囲を沼沢地に囲まれた「浮き城」「亀城」とも呼ばれる要害だった。以後、成田氏の本拠として関東の争乱の中を生き抜いた。

1590年の小田原征伐では、城主・成田氏長が小田原城に籠るため不在となる中、氏長の娘・甲斐姫のほか、城代を務めた氏長の叔父・成田泰季、その死後は泰季の子・成田長親が一族や家臣とともに忍城に残り防戦にあたったと伝わる。甲斐姫自身も自ら武具をまとい奮戦したという。石田三成率いる豊臣方2万余りの大軍による水攻めにも耐え抜き、関東の北条方諸城で最後まで落ちなかった城として知られる。小田原開城の報を受け、同年7月16日に開城した。

1478年頃 成田氏が忍城を築城したと伝わる
1590年 小田原征伐で石田三成らが忍城を包囲し水攻めを行うが、甲斐姫らの防戦により落城せず、小田原開城後の7月16日に開城
江戸時代 忍藩の政庁となる
1871年 廃藩置県により廃城
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ゆかりの武将

水攻めに耐え城を守った女性武将

父・成田氏長が小田原城に赴き不在の間、一族とともに忍城に残り、石田三成率いる豊臣方の水攻めを退けたと伝わる。開城後は豊臣秀吉の側室になったと伝えられるが、後世の軍記物に依拠する部分が大きく、史料的な裏付けは乏しい。

よくある質問

Q. 忍城はどんな城ですか?

武蔵国忍(現在の埼玉県行田市)にあった成田氏の居城で、周囲を沼沢地に囲まれた「浮き城」として知られます。1590年の小田原征伐では石田三成の水攻めにも耐え抜きました。

Q. 甲斐姫と忍城の関係は?

1590年の小田原征伐の際、城主である父・成田氏長が小田原城に赴いて不在となる中、甲斐姫は一族とともに忍城に残って防戦を指揮し、豊臣方の水攻めを退けたと伝わります。

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