名生城

戦国時代

城名名生城
所在地宮城県大崎市古川
築城/入城など1351年頃、後に大崎氏の祖となる斯波家兼(奥州管領)が築いたと伝わる。大崎氏歴代の本拠
主な城主大崎義隆
現状大半は宅地・農地。内館周辺に空堀・土塁の遺構が残る

名生城とは

名生城は宮城県大崎市古川にあった平城で、観応2年(1351)頃、後に大崎氏の祖となる斯波家兼(奥州管領、のちに奥州探題と呼ばれる職)によって築かれたと伝わる(家兼自身の居城は中新田城だったとする説もある)。以後、奥州探題大崎氏の本拠地として機能し、戦国時代には第12代(13代とする説もある)当主・大崎義隆の居城となった。

大崎氏は最盛期には加美・志田・遠田・玉造・栗原の5郡を領する奥州の名族であったが、たび重なる内紛により勢力を弱め、天文年間(1532~1555)頃には事実上伊達氏の影響下に置かれた。天正18年(1590)、義隆は小田原征伐に参陣しなかったため豊臣秀吉の奥州仕置により改易され、大崎氏は滅亡した。

1351年 大崎家兼によって築かれたと伝わる
戦国時代 大崎氏歴代の居城となる。12代大崎義隆もここを本拠とした
1532年-1555年頃 伊達氏の影響下で大崎氏の勢力が実質的に低下
1590年 小田原征伐に参陣せず、豊臣秀吉の奥州仕置により義隆は改易・大崎氏滅亡
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大崎氏の本拠

奥州探題大崎氏歴代の居城

よくある質問

Q. 大崎義隆と名生城の関係は?

名生城は奥州探題大崎氏歴代の本拠地で、最後の当主となった大崎義隆もここを居城とした。小田原征伐に参陣しなかったため秀吉の奥州仕置で改易され、大崎氏は滅亡している。

Q. 名生城は現在見学できますか?

城域の大半は宅地や農地となっているが、内館周辺には空堀や土塁の遺構が比較的良好な状態で残っており、現地で見ることができる。

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