水戸城

天正18年(1590年)以降

城名水戸城
所在地茨城県水戸市三の丸
築城/改修中世に江戸氏の居城(馬場城)となり、1590年に佐竹義宣が接収・大改修
主な城主佐竹義宣
現状水戸城跡として復元大手門・二の丸角櫓などが整備

水戸城とは

水戸城は平安時代末期に馬場氏の居館があったとされる地に始まり、その後は江戸氏が「馬場城」として居城とした。那珂川と千波湖に挟まれた要害の地に位置し、常陸国北部支配の要衝であった。

天正18年(1590年)の小田原参陣の功により常陸一国を与えられた佐竹義宣は、江戸氏との抗争を経て(1591〜1594年頃に)城を接収し、本拠を太田城から水戸城へ移した。入城後ただちに大規模な改修を行い、城名も馬場城から水戸城に改め、三の丸・二の丸・本丸・下の丸が連なる縄張りの基礎を築いた。しかし慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで曖昧な態度をとったため、慶長7年(1602年)に徳川家康により出羽秋田へ転封され、水戸城を離れることとなった。

1590年 小田原参陣の功により佐竹義宣が江戸氏から水戸城(馬場城)を接収し本拠を移す
1590年代 城名を馬場城から水戸城に改め、大規模な改修を行う
1602年 関ヶ原の戦いでの態度を咎められ、出羽秋田へ転封となる
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ゆかりの武将

佐竹義宣、水戸城を本拠とする

太田城から水戸城へ本拠を移し、常陸統治の中心として大改修した

よくある質問

Q. 佐竹義宣はなぜ水戸城に本拠を移したのですか?

天正18年(1590年)の小田原参陣の功により、それまで江戸氏が治めていた水戸城(当時は馬場城)を接収し、太田城から本拠を移しました。

Q. 佐竹義宣はいつまで水戸城主でしたか?

関ヶ原の戦いで態度を明確にしなかったことを咎められ、慶長7年(1602年)に徳川家康により出羽秋田へ転封となるまで水戸城主でした。

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