水口岡山城とは
水口岡山城は、豊臣秀吉が東海道の要衝・水口を押さえるため天正13年(1585)に中村一氏に命じて築かせた平山城である。琵琶湖南東の甲賀郡を望む古城山に築かれ、豊臣政権による近江支配の拠点として機能した。
文禄4年(1595)、豊臣家の財政実務を統括した五奉行の一人長束正家が水口5万石(4万石とする史料もある)を拝領して入城し、慶長2年(1597)頃までには12万石まで加増されたとされる。算用に長けた実務官僚として知られる正家は、水口岡山城を拠点に東海道筋の兵站や年貢の差配を担った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に与した正家は、毛利秀元・吉川広家らとともに南宮山に布陣したが、広家の妨害で本戦に参加できないまま西軍敗北を知り、水口岡山城へ敗走して弟・直吉とともに籠城した。城は東軍方の池田長吉・亀井茲矩の攻撃を受け、助命を条件に開城したところを欺かれて正家兄弟は捕縛され、自害に追い込まれた。水口岡山城もまもなく廃城となった。



