味土野女城

天正10年(1582年)頃 ガラシャ幽閉の地

城名味土野女城(あじとの めじろ)
所在地丹後国(現・京都府京丹後市弥栄町須川)
幽閉天正10年(1582年)頃、本能寺の変後に細川ガラシャが幽閉されたと伝わる
主な関係人物細川ガラシャ
現状遺構はほとんど残らないが、隠棲地の石碑・観音堂跡・古井戸・蓮池跡が残る

味土野女城とは

味土野女城は、京都府京丹後市の山中、標高約400メートルの地にある細川ガラシャ(玉)の隠棲地である。天正10年(1582年)の本能寺の変で父・明智光秀が織田信長を討つと、夫の細川忠興は謀反人の娘となった玉を離縁こそしなかったものの、都から遠く離れたこの地に幽閉した。

史料上は『味土野女城』『味土野城』という名称そのものは見えず、地元で『味土野の女城(めじろ)』と呼び習わされてきた場所である。約2年にわたる幽閉生活の中で、玉は侍女・清原マリアの影響を受けてキリスト教に近づき、のちの受洗・改名(ガラシャ)につながる転機を過ごした地とされる。

天正10年(1582年)6月 本能寺の変で明智光秀が織田信長を討つ
天正10年(1582年) 夫・細川忠興が謀反人の娘となった玉(のちの細川ガラシャ)を味土野に幽閉
天正12年(1584年)頃 秀吉の取り成しにより幽閉を解かれ、大坂の細川屋敷に戻る
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ゆかりの武将

幽閉の地

忠興との離縁ではなく、明智の娘として外部との接触を断つための隔離処置であった。

よくある質問

Q. 味土野女城とはどのような城か。

本格的な城郭というより山中の隠棲地で、本能寺の変後に細川ガラシャが約2年間幽閉された場所とされる。史料上は『城』の名称は見えない。

Q. なぜ『女城』と呼ばれるのか。

ガラシャが暮らした場所を『女城』、谷を挟んで警護の家臣が詰めた尾根向かいの出城を『男城』と呼び分けたことに由来する。

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