益富城とは
益富城は永享年間(1429~1441年)に大内盛見が築いたと伝わり、その後は毛利元就の領有を経て、戦国時代末期には古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定の際には、一夜のうちに張りぼての城壁を築いて秋月氏を戦意喪失させたという「一夜城」伝説が残る。
慶長5年(1600年)、黒田長政が筑前に入封すると、益富城(大隈城)は福岡藩の国境を守る「筑前六端城」の一つに位置づけられ、1万6千石を領する後藤又兵衛(基次)が城代として入った。又兵衛は6年間にわたり城代を務めたが、黒田長政との確執から慶長11年(1606年)に黒田家を出奔し、後に大坂の陣で豊臣方として戦うことになる。城は元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。



