久留里城

天文年間、里見義堯が本拠化

城名久留里城
所在地千葉県君津市
主な城主里見義堯
城主在任天文年間より本拠、天正2年(1574年)に城内で死去
現状1978年に本丸跡へ模擬天守が再建され、翌年には久留里城址資料館も開館。城山公園として整備されている。

久留里城とは

久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長が築いたと伝わる山城で、戦国時代には房総里見氏の重要拠点となった。里見義堯は上総へ進出した後、久留里城を本拠として大きく改修し、佐貫城とともに北条氏に対する最前線とした。

義堯は里見氏の勢力を上総・安房の広範囲に拡大し、里見氏の全盛期を築いた武将として知られる。天正2年(1574年)、義堯は久留里城において68年の生涯を終えた。江戸時代には久留里藩の藩庁として整備され、明治維新まで存続した。現在の模擬天守は1978年に本丸跡に再建されたものである。

室町時代 上総武田氏の武田信長が久留里城を築いたと伝わる。
天文年間 里見義堯が上総進出後、久留里城を本拠とし対北条氏の最前線とする。
1574年(天正2年) 里見義堯、久留里城にて死去(享年68)。
江戸時代 久留里藩の藩庁となる。
1978年 本丸跡に模擬天守が再建される。
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ゆかりの武将

久留里城主・里見義堯

上総進出後の本拠とし、没するまで居城とした

よくある質問

Q. 里見義堯はなぜ久留里城を本拠としたのですか?

上総国へ勢力を拡大した後、北条氏との最前線に位置する久留里城を大改修し、佐貫城とともに対北条氏の防衛拠点とした。

Q. 久留里城の天守は本物ですか?

現存する天守は1978年に本丸跡へ建てられた模擬天守(鉄筋コンクリート造)で、史実に基づく再建ではなく展望台を兼ねた建造物である。

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