久留米城

1587年

城名久留米城
所在地福岡県久留米市篠山町
築城永正年間(1504~1521年)に篠原城として築かれ、天正15年(1587年)に小早川秀包が本格築城
主な城主小早川秀包
現状国史跡・続日本100名城。石垣などの遺構が残る

久留米城とは

久留米城は福岡県久留米市篠山町、筑後川を背後にした丘陵に築かれた平山城。永正年間(1504~1521年)に在地の土豪によって篠原城(篠山城・笹原城とも)として築かれたのが始まりと伝わる。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州征伐の後、筑後国御井・上妻・三潴の三郡7万5千石を与えられた毛利元就の九男・小早川秀包(兄・小早川隆景の養子)が本格的に築城し、本拠として整備した。文禄3年(1594年)には小早川本家から独立し、文禄の役の戦功により5万5千石を加増され13万石を領する大名となった(同時期、筑後国内には立花宗茂・筑紫広門ら他の大名領も存在した)。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与した秀包は、戦後改易され久留米を去った。城はその後田中吉政、有馬氏へと引き継がれ、近世城郭として整備が進められた。

1504年~1521年 在地の土豪により篠原城が築かれたと伝わる
1587年 豊臣秀吉の九州征伐後、筑後国を与えられた小早川秀包が本格的に築城し本拠とした
1594年 小早川秀包が筑後一国13万石の独立大名となる
1600年 関ヶ原の戦いで西軍につき敗北、改易となる
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小早川秀包と久留米城

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よくある質問

Q. 久留米城は誰が築いたのですか?

永正年間に在地の土豪が篠原城として築いたのが始まりで、天正15年(1587年)に小早川秀包が本格的な城郭として築城しました。

Q. 小早川秀包はなぜ久留米城を去ったのですか?

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に与して敗れたため、改易となり久留米を去りました。

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