猪苗代城とは
猪苗代城は会津盆地の東端、猪苗代湖の北岸を望む地に築かれた城で、鎌倉初期に佐原氏の一族・猪苗代経連が築いたと伝えられる。以後400年近くにわたり、蘆名氏の重臣であった猪苗代氏歴代の居城として会津防衛の東の要となった。
猪苗代盛国は蘆名氏の重臣として猪苗代城主を務めたが、天正13年(1585)に一度家督と城を嫡子・盛胤に譲った。その後、後妻の讒言により盛胤の廃嫡を図って城を奪還し、天正16年(1588)に伊達政宗の調略に応じて蘆名氏を裏切り、伊達方に城を明け渡した(盛胤は蘆名方にとどまり父と対立した)。この内応は翌年の摺上原の戦いにおける蘆名氏敗北の遠因となり、名門蘆名氏没落を決定づける一因となった。
戦後、盛国はその功により伊達氏の準一門に列せられ所領を加増されたが、後年、政宗の移封に伴い陸奥国東山(岩井郡)へ移された際に知行が減らされ、晩年にはさらに半減された。猪苗代城はその後、会津を治めた蒲生・上杉・加藤各氏のもとで城代が置かれる城となった。戊辰戦争で建物は焼失したが、現在は曲輪や堀、石垣の一部が残り、県史跡として整備されている。



