猪苗代城

建久2年(1191)頃築城~1868年焼失

城名猪苗代城
所在地福島県耶麻郡猪苗代町
築城建久2年(1191)頃、猪苗代経連
主な城主猪苗代氏(猪苗代盛国など)、蒲生氏、上杉氏、加藤氏
現状県史跡、曲輪・堀・土塁・石垣の一部が残存し公園として整備

猪苗代城とは

猪苗代城は会津盆地の東端、猪苗代湖の北岸を望む地に築かれた城で、鎌倉初期に佐原氏の一族・猪苗代経連が築いたと伝えられる。以後400年近くにわたり、蘆名氏の重臣であった猪苗代氏歴代の居城として会津防衛の東の要となった。

猪苗代盛国は蘆名氏の重臣として猪苗代城主を務めたが、天正13年(1585)に一度家督と城を嫡子・盛胤に譲った。その後、後妻の讒言により盛胤の廃嫡を図って城を奪還し、天正16年(1588)に伊達政宗の調略に応じて蘆名氏を裏切り、伊達方に城を明け渡した(盛胤は蘆名方にとどまり父と対立した)。この内応は翌年の摺上原の戦いにおける蘆名氏敗北の遠因となり、名門蘆名氏没落を決定づける一因となった。

戦後、盛国はその功により伊達氏の準一門に列せられ所領を加増されたが、後年、政宗の移封に伴い陸奥国東山(岩井郡)へ移された際に知行が減らされ、晩年にはさらに半減された。猪苗代城はその後、会津を治めた蒲生・上杉・加藤各氏のもとで城代が置かれる城となった。戊辰戦争で建物は焼失したが、現在は曲輪や堀、石垣の一部が残り、県史跡として整備されている。

1191年頃 佐原氏(猪苗代氏)の祖・猪苗代経連が築城したと伝わる
1585年 猪苗代盛国が家督を嫡子・盛胤に譲る
1588年 盛国が後妻の讒言により嫡子・盛胤の廃嫡を図り、盛胤が黒川城へ出仕中に猪苗代城を奪還。その後、伊達政宗に内応し、蘆名氏を裏切って城を明け渡す(盛胤は蘆名方にとどまり父と対立した)
1589年 摺上原の戦いで蘆名義広が敗北し、蘆名氏は事実上滅亡する
1868年 戊辰戦争(会津戦争)で新政府軍の侵攻を前に、会津藩の城代・高橋権大夫が自ら城に火を放って若松へ撤退し、建物が焼失する
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ゆかりの武将

蘆名氏重臣・猪苗代盛国の本拠

盛国は代々の居城である猪苗代城を保持しつつ伊達方に通じ、摺上原の戦いで蘆名氏没落の引き金を引いた。

よくある質問

Q. 猪苗代盛国はなぜ蘆名氏を裏切ったのですか?

伊達政宗の調略を受けた盛国は、蘆名家中の内紛を背景に伊達方への内応を決断し、摺上原の戦いにおける蘆名軍敗北の一因を作りました。

Q. 猪苗代城の現在の様子はどうなっていますか?

建物は戊辰戦争で焼失しましたが、曲輪跡や堀跡、土塁・石垣の一部が残り、福島県指定史跡として公園に整備されています。

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