二俣城

築城 1501年頃(文亀年間)

城名二俣城(ふたまたじょう)
所在地静岡県浜松市天竜区二俣町二俣(遠江国)
築城文亀年間(1501年頃)、二俣氏によると伝わる
主な城主二俣氏、松平信康(幽閉の地)、大久保忠世、堀尾吉晴 ほか
現状本丸・石垣・土塁などが残り「城山公園」として整備。2018年に国史跡指定

二俣城とは

二俣城は、天竜川と二俣川の合流点近くにそびえる天然の要害に築かれた遠江の山城である。築城年代ははっきりしないが、文亀年間(1501年頃)に国人領主・二俣氏によって築かれたと伝わる。桶狭間の戦い以降、遠江支配の要衝として本格的な普請が進められた。

戦国時代には遠江をめぐる徳川氏と武田氏の激しい争奪戦の舞台となり、1572年には武田信玄によって攻略されるなど、たびたび城主が入れ替わった。そして1579年、徳川家康の嫡男・松平信康が父の命によりこの城に幽閉され、9月15日に自刃を命じられるという悲劇の舞台にもなっている。

1501年頃 国人領主・二俣氏によって築かれたと伝わる(築城年代には諸説あり)
1560年 桶狭間の戦い後、遠江支配の要衝として本格的な普請が進む
1572年 武田信玄の遠江侵攻により攻略され、武田方の城となる
1575年 徳川家康が奪還し、再び徳川方の城となる
1579年 松平信康が岡崎城から移されこの城に幽閉、9月に自刃を命じられる
1590年 堀尾吉晴が城主となり、石垣や天守が築かれたとみられる
1600年 堀尾氏の転封に伴い廃城となる
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ゆかりの武将

幽閉の末に自刃した徳川家康の嫡男

徳川家臣として二俣城主を務める

徳川家康の家臣として遠江国二俣城主を任され、武田氏との抗争における最前線を守った。

よくある質問

Q. 二俣城はなぜ松平信康ゆかりの城とされるのですか?

1579年、信康は父・家康の命により岡崎城を追われてこの二俣城に幽閉され、9月15日に自刃を命じられました。信康が最期を迎えた地であることから、ゆかりの城とされています。

Q. 二俣城は誰が築いたのですか?

文亀年間(1501年頃)に国人領主・二俣氏が築いたと伝わりますが、確かな史料は少なく詳細は不明な点も多い城です。

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