江尻城

1575年頃

城名江尻城
所在地静岡県静岡市清水区江尻町
築城/入城など1570年、武田信玄が築城。1575年頃より穴山信君が城代(大改修は1578年頃とする説もある)
主な城主穴山信君
現状市街地化により堀・土塁等の遺構は消失。周辺に説明板等が残るほか、廃城時に移築されたと伝わる裏門が東明禅院の山門として現存するとされる。

江尻城とは

江尻城は駿河国庵原郡江尻(現・静岡県静岡市清水区)にあった平城で、元亀元年(1570)、駿河を制圧した武田信玄が巴川河口の要地に築かせた。城主には山県昌景が任じられ、対徳川・対北条の駿河支配拠点として機能した。

天正3年(1575)の長篠の戦いで山県昌景が討死すると、天正3年(1575)頃からは武田一門衆の穴山信君(梅雪)が城代となり、大規模な改修を加えたと伝わる(改修時期を天正6年頃とする説もある)。信君は天正9年(1581)末頃から織田信長・徳川家康と通じ始め、天正10年(1582)の甲斐侵攻に際していち早く武田氏から離反した。この離反は武田方の士気を大きく損なわせたが、勝頼が新府城放棄後に自害へ追い込まれた直接の契機は、頼ろうとした小山田信茂にも岩殿城で拒まれたことによる。

1570年 武田信玄が江尻城を築城し、山県昌景を城主とする
1575年 長篠の戦いで山県昌景討死
1575年頃 穴山信君が城代となる(大改修は1578年頃とする説あり)
1582年 信君が徳川家康に内通し武田氏から離反。武田氏滅亡の一因となる
広告

ゆかりの武将

穴山信君の居城

武田家臣時代の駿河支配拠点、後に徳川離反の舞台

よくある質問

Q. 穴山信君と江尻城の関係は?

信君は天正3年(1575)頃、長篠の戦いで戦死した山県昌景の後任として江尻城代となり、大改修を行って駿河支配の拠点とした(信長・家康への内通は天正9年末頃から始まっていたとされる)。天正10年(1582)にはいち早く武田氏から離反している。

Q. 江尻城は新府城とは別の城ですか?

新府城は武田勝頼が築いた甲斐の新たな本拠で、信君も築城を進言したと伝わるが、信君自身が城主として在城したのは江尻城であり、両者は別の城である。

APP アプリでもっと深く

気になった武将も合戦も、アプリなら横断して辿れる。

サイトで見つけた入口から、アプリでは人物・合戦・関係図・地図を行き来しながら、気になる戦国を深掘りできます。

  • 214人の武将
  • 44件の合戦
  • オフライン対応
戦国図鑑をアプリで深掘りする Google Play で入手