毛利元就の生涯
安芸国吉田郡山城主・毛利弘元の次男。幼くして両親を失い、「乞食若殿」と呼ばれるほど困窮した少年時代を送る。1523年に兄の死後、家督を継承。周囲を大内・尼子という大勢力に挟まれた中で、謀略と外交を駆使して生き残りを図った。
1555年の厳島の戦いでは、陶晴賢(大内家の実権を握った重臣)を厳島に誘い込み、水軍の優位を活かして壊滅させた。日本三大奇襲戦の一つに数えられる。
以後、大内氏の残党を平定し、尼子氏を滅亡に追い込んで中国地方10カ国を制覇。一代で安芸の小領主から中国の覇者へと登り詰めた戦国屈指の謀将。1571年に吉田郡山城で病没。享年75。

毛利元就