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委任状を手に17世紀末の帆船上へ立つウィリアム・キッドを表した独自制作イメージ。

大西洋・インド洋 · 私掠船長・海賊として有罪となった人物

ウィリアム・キッド

William Kidd

Codex ImageGen による独自制作イメージ。実在人物の肖像を再現したものではありません。

ウィリアム・キッドはどんな人物?

ウィリアム・キッドは、17世紀末に海賊や敵国船を捕らえる許可を受けて出航し、最後には海賊として処刑された船長です。最大の獲物クェダ・マーチャント号を正当な拿捕と主張しましたが、政治と裁判の中で退けられました。実像は、単純な悪名高い海賊よりも、私掠と海賊の境界が揺れた時代を映しています。[3][1][2]

  • 国王の許可で、海賊を追う側だった1696年、海賊船と敵国フランスの船を捕らえる委任状を受け、私掠船長として出航しました。
  • 最大の獲物が、海賊罪の中心になったクェダ・マーチャント号を正当な拿捕だと主張しましたが、政治と裁判の中で認められませんでした。
  • 実際に隠した財産が宝探し伝説へガーディナーズ島に預けた財産は回収されましたが、この事実が後世の埋蔵金物語に現実味を与えました。

基本情報

活動期
17世紀後半〜1701年
主な船
アドベンチャー・ギャレー
裁判
1701年、ロンドンのオールド・ベイリー
目次

キッドは、なぜ海賊として裁かれた?

海賊討伐の委任、獲物の拿捕、帰国と裁判まで、立場が反転する流れを追います。

海賊を捕らえる私掠船長として出航した

キッドは1696年、国王の権限による委任状を受け、海賊船とフランス船を捕らえる任務に就きます。私掠船は、戦時に政府の許可を受けて敵国船を拿捕し、売却した利益を出資者や乗組員で分ける民間船です。無許可で船を襲う海賊とは、法的には違う立場でした。[3][1]

出資者にはイングランドの有力者もおり、キッドはアドベンチャー・ギャレー号でインド洋へ向かいました。しかし、期待した海賊船や正当な敵国船をなかなか捕らえられず、長い航海で乗組員の不満と費用が増えていきます。許可を持って出たことが、後のすべての行動まで合法にするわけではありませんでした。[3]

物語に登場する相手とのつながりを、役割ごとに整理しました。名前を選ぶと関係する逸話へ移動できます。

ウィリアム・キッド私掠船長・海賊として有罪となった人物

航海を動かした人と船

クェダ・マーチャント号の拿捕が、最大の転機になった

1698年初め、キッドはインド近海で豊かな貨物を積むクェダ・マーチャント号を拿捕します。船はアルメニア商人の荷を運び、インド人の乗組員が乗る一方、フランス側の通行証も持っていました。キッドは、敵国フランスの保護下にある船なので委任状の範囲だと考えます。[2][3]

ところが船と積荷には英国東インド会社など複数の利害が絡み、拿捕は大きな国際問題になります。キッドは傷んだアドベンチャー・ギャレー号を離れ、獲物の船をアドベンチャー・プライズと改名して使いました。最大の成功に見えた拿捕が、彼を海賊として追う理由になったのです。[2][3]

  1. 1
    委任

    海賊船とフランス船を捕らえる許可を受ける。[3]

  2. 2
    拿捕

    フランス通行証を持つクェダ・マーチャント号を捕らえる。[2]

  3. 3
    反発

    船と積荷の関係者が正当な獲物ではないと訴える。[3]

  4. 4
    追及

    キッド自身が海賊として手配される。[1]

無実を説明しに戻り、裁判で有罪となった

キッドは自分の行動を説明し、委任の範囲だったと認めてもらおうと北米へ戻ります。しかし1699年にボストンで逮捕され、イングランドへ送られました。1701年5月、ロンドンの海事裁判で、海賊行為に加えて船員ウィリアム・ムーアを死なせた殺人も審理されます。[1][3]

刊行された裁判記録には、キッドが証拠をそろえる時間や法的助言を求める場面が残ります。裁判所は主張を退け、海賊行為と殺人で有罪としました。キッドは1701年5月23日に処刑され、遺体はテムズ川沿いで見せしめとして鎖につるされました。[1][2]

さらに詳しく知る

私掠船と海賊の違い、裁判の争点、埋蔵金伝説が生まれた理由を整理します。

『私掠船長か海賊か』は、許可証だけでは決まらない

キッドが委任状を持っていたこと自体は、裁判記録に収められた二通の文書から確認できます。問題は、実際に捕らえた船が許可の対象だったか、拿捕後の処置が法に沿っていたかです。合法な私掠と海賊行為の境目は、船長の自己申告だけでは決まりません。[1]

さらに、航海へ出資した政治家たちは事件が問題になると距離を取りました。キッドを悲運の被害者だけにすることも、初めから純粋な海賊だったと決めることも、複雑な資料を単純にしすぎます。許可、獲物の国籍、乗組員の行動、政治的責任を分けて見ると、事件の難しさが分かります。[3][1]

少量の隠し財産から、埋蔵金伝説が広がった

キッドは帰還途中、交渉に備えて財産の一部をニューヨーク近くのガーディナーズ島へ預けました。それは当局に回収されましたが、『海賊が島へ宝を隠した』という出来事は、死後により大きな埋蔵金伝説へ変わっていきます。[4]

後世の小説や挿絵は、地図、印、孤島、宝箱という海賊物語の型をキッドの名と結びつけました。史実で重要なのは、無数の宝箱が今も眠ることではなく、実際に隠した財産が回収されたため、伝説が現実らしさを得た点です。キッドは裁判史と冒険物語の両方に残る人物になりました。[2][4]

ウィリアム・キッドが登場する作品

作品ごとの登場人物や設定を紹介します。

出典・参考資料

本文の注番号から、根拠にした資料を確認できます。

  1. 1
    Arraignment, Tryal, and Condemnation of Captain William Kidd ↗ Law Library of Congress · 一次資料(1701年裁判記録)

    1701年5月の殺人・海賊行為の裁判、二通の委任状、5月23日の処刑を記す刊行裁判記録。

  2. 2
    Captain Kidd on His Ship ↗ Smithsonian Ocean · 博物館解説

    アドベンチャー・ギャレー号、クェダ・マーチャント号の拿捕、ロンドンでの有罪判決と遺体の晒しを確認。

  3. 3
    Captain Kidd: the hunt for the truth ↗ Royal Museums Greenwich · 国立海事博物館図書解説

    1696年の私掠船委任、海賊船とフランス船を拿捕する任務、最終航海と裁判をめぐる曖昧さを確認。

  4. 4
    Pirate William Kidd buries treasure on Gardiner's Island ↗ Royal Museums Greenwich / National Maritime Museum · 国立海事博物館教材
  5. 5
    ユースタス・キッド — キャラクター検索 ↗ ONE PIECE.com · 作品公式情報

    キッド海賊団船長で『最悪の世代』に数えられ、磁力を操る能力を持つことを確認。

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