関羽と呂蒙はどんな関係?
関羽と呂蒙は「敵対」として語られる関係です。個人の選択だけでなく、蜀と呉のあいだの政治と軍事の動きにも影響しました。
それぞれの人物像
蜀漢の五虎大将筆頭。劉備・張飛と桃園の誓いを結び、義兄弟として生涯を共にした。曹操に一時仕えた際も劉備への忠義を貫き、千里を単騎で駆けた逸話は名高い。荊州を守護するも、呉の呂蒙の計略により捕えられ斬殺された。後世「武神」として神格化される。
呉の名将。若き日は「呉下の阿蒙」と揶揄される武辺者だったが、孫権の勧めで学問を修め、魯粛をして「刮目して相待すべし」と言わしめた。白衣渡江の計で荊州を奪取し、関羽を敗死に追い込んだ策略家。荊州奪還直後に病没。
三国志の流れで見る
蜀の関羽と呉の呂蒙の「敵対」は、勢力を越えた三国志の力関係を映し出します。両者がぶつかった、あるいは交わった合戦とあわせて読むと、蜀と呉の間の緊張がより立体的に見えてきます。