陳宮と曹操はどんな関係?
陳宮と曹操は「離反」として語られる関係です。個人の選択だけでなく、群雄と魏のあいだの政治と軍事の動きにも影響しました。
それぞれの人物像
呂布の参謀。もと曹操の配下だったが、曹操の徐州虐殺に失望し離反。呂布を担いで曹操と対抗した。下邳の戦いで呂布と共に捕らえられ、曹操の説得を拒否して従容と死に就いた。その態度は曹操をも涙させたという。
後漢末の丞相にして魏の基礎を築いた覇王。黄巾の乱で頭角を現し、官渡の戦いで袁紹を破り華北を統一。赤壁の敗戦で天下統一は叶わなかったが、屯田制や人材登用策で魏の礎を固めた。詩人としても一流で、建安文学の旗手でもある。
三国志の流れで見る
群雄の陳宮と魏の曹操の「離反」は、勢力を越えた三国志の力関係を映し出します。両者がぶつかった、あるいは交わった合戦とあわせて読むと、群雄と魏の間の緊張がより立体的に見えてきます。