戦の詳細
中国地方の覇権を握る毛利元就が尼子氏の本拠・月山富田城を攻撃。難攻不落と称された城であったが、毛利軍は周辺の支城を次々と攻略し孤立させる戦略を展開。約1年半の包囲の末に尼子義久は降伏し、戦国大名としての尼子氏は滅亡した。山中鹿介ら残党は尼子再興を誓い、後に尼子勝久を擁して挙兵する。
1565年〜1566年
| 戦名 | 月山富田城の戦い |
|---|---|
| 時期 | 1565年〜1566年 |
| 場所 | 出雲国・月山富田城 |
| 結果 | 毛利軍の勝利(尼子氏滅亡) |
中国地方の覇権を握る毛利元就が尼子氏の本拠・月山富田城を攻撃。難攻不落と称された城であったが、毛利軍は周辺の支城を次々と攻略し孤立させる戦略を展開。約1年半の包囲の末に尼子義久は降伏し、戦国大名としての尼子氏は滅亡した。山中鹿介ら残党は尼子再興を誓い、後に尼子勝久を擁して挙兵する。
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戦国図鑑アプリを見る支城の切り崩しと兵糧攻めで月山富田城を完全に孤立化。約1年半の長期戦で尼子氏を降伏に追い込んだ。
攻城戦の前線を支え、武勇で毛利軍の士気を維持。兄・隆元亡き後の柱として活躍。
水軍で海上補給路を遮断し、城の完全孤立に貢献。
主家のため奮戦するも衆寡敵せず。「願わくば七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った伝説で名高い。